今日は僕の本業である「教育」について。
なぜ塾を辞めるのか?
昨日の記事でも述べたように、塾を何名かの3年生が辞めます。
理由は人それぞれで、就職が決まってやり切った生徒もいれば、既に試験も終わっていてのんびり過ごしたいけど、塾の居心地が悪くなってきたからという生徒もいます。
そして1人は、僕と会うのが完全に嫌になって、塾には今後来ないことを決めたそうです。
この時の僕の話がかなり効いたそうで、端的に言うとこういうことを指摘して欲しくなかったようです。
特に異性ということもあり、嫌だったそうな。
なんとなくこうなるかもなという予想はしていたので、個人的な感想は「あー、このアプローチはこの生徒にはダメだったか」です。
オブラートの包み方
女子生徒を呼んでこの話しをした時に、入りの時点で「あ、指摘されるのを嫌がっているかも」と感じ、オブラートに包んで話すことに切り替えはしたんですね。
切り替えたつもりでも、それでも当人にとっては痛いところを突かれているのには変わりなく、「もう言われるのは嫌」となってしまったそうです。
個人的には、もうここで言わなければこのまま卒業して、気づかずに終わってしまうのではないかと危惧していました。
というのも、これまでの記事で言ってきたように、この町の生徒たちは周りの人から厳しい指摘を受けてこないでここまで来ていて、普通の感覚であれば「え?」と思うようなことも平気でやってしまいます。
気に食わないことがあればすぐに先生に文句を言ったり、
もちろん自己主張をすることは必要ですけど、グッと飲み込む場面が必要な時はありますよね。それを教わらずに社会に出てしまうと、「え、こいつ空気読めねーじゃん」と周囲の人たちから引かれてしまいます。
僕が思う学生との正しい向き合い方
僕もですね、自分の弁明をするわけではありませんが、好きで嫌われようとしているわけではありません。
むしろ、楽な教育活動を行っていきたいのであれば、生徒の良くない点を見つけても何も指摘したり、アプローチをしない方が無難です。
そう、難が無いのです。
僕の理想の教育は、やっぱりサッカーコーチ時代の監督の言葉に戻ってきます。
監督にはコーチになってすぐの頃に、「選手に好かれようとする指導者は自分のことしか考えていないクズだ」と教えられました。
とはいえ数か月か選手たちと過ごす中で、「果たして選手たちに好かれようとしないことは正しいのだろうか?」と、その監督の教育における常識を疑う時期がありました。
そういはいっても好かれようとする指導では結果が出ず、改めて監督の言うように時には厳しく選手たちに詰める指導をした結果、最後は僕が指導していたカテゴリーもリーグ優勝をすることができました。
その結果が出た時に初めて、「ああ、監督の言っていたことはこういうことだったんだな」と気づくことができたんですね。
その成功体験があって、僕の中にある教育の型は、「生徒には寄り添いながらも、時には厳しい現実も突きつける」ものとして確立されたように思います。
監督コーチ陣は、言い方が悪いかもしれませんがみんなお節介でした。
でも何が正しいかを常に考えていて、「そこは違うだろ」ってところがあればハッキリと選手たちに指摘していました。
僕はその姿を見てきて、最後はそれを自分も選手たちに実践しようともがいていました。
それはもちろん僕の自己満足も潜んではいますが、それだけではなくて選手一人一人のことを想っています。
その時の姿勢は今も変わらず、今後も無くさないようにしたいとも思っています。
”型がない”ことが究極の型
今回の女子生徒に嫌悪感を抱かせてしまった原因は、
- コミュニケーション
- 思い遣り
というこの2点の不足が大きいと感じています。
僕自身としても反省していますが、この話し
を生徒とする前に、もっときめ細かなアプローチを掛けていれば、ここで詰めることは無かっただろうと思います。
ゆえに思い遣りの欠如も、それまでの準備(コミュニケーション)が不足していて情報不足だったのにも関わらず、「ここまで言ってもこの生徒なら大丈夫だろう」と楽観視してしまい、本来継続して話す場面を作っておけば理解できていた止めるべきところを、通り越して指摘し過ぎてしまったわけです。
これは相手の聞く態度云々の問題ではなく、完全に僕のミスと言えます。
申し訳なかったと思います。
例えばヤツであれば、
これまで幾度となく1on1をしてきたので、ヤツ自身も「厳しいことを言われてムカつきはしたけど、まつをは自分のためを思って言ってくれた」という結論に至ったのです。
この学校の中ではちゃんとできているからといって、完全に放置していたことが今回の最大の失敗です。
今回のように、コミュニケーションが不足している中でも大事なことを伝えたいときは、監督がしてきたような方法ではなく、もっと別なアプローチを考える必要があったわけです。
監督がそれをできるのも圧倒的な実績が監督自身にあり、選手たちも監督に対して尊敬と畏怖の念があるからその関わり方が常に成り立つのです。
つまり僕にはまだその関わり方で常に成果を出していくことは不可能で、今はまだ臨機応変に型を変えていく他ないのです。
僕が本人に伝えたことは、当然であり正しいことです。
それは周りの生徒が言うことには、その女子生徒本人も「わかっている」と言っていて、「でもわかっているけど変えられない」のだそうです。
まつをを見ると、そんな自分を見透かしているようで居心地が悪いそうです。
その女子生徒の言葉を伝えてくれた別の女子生徒
と、もう一人の塾スタッフは僕に、
「まつをがいつも真剣なのはわかるけど、世の中まつをみたいにストイックに強い人ばかりじゃなくて、むしろそうでない人の方が多いんだよ。そこをわかってあげて」と言いました。
いや、わかるよ。わかる。
わかるけどさ、そこを乗り越えないと何も始まらないじゃん。
何でそこで線を引いてしまうんだろうね、みんながみんなそうはなれないとか。
別にストイックでもなんでもないって。むしろいつも弱いんだって。
最近この類のことばかり言われて、本当に、心底うんざりしています。
監督、
教育ってのは何が正解なんでしょうか?
僕は間違っているんでしょうか?
僕は一体何を頑張っているんでしょうか?
僕はこの町で何をどう伝えればいいんでしょうか?
考え続けることしかできないのでしょうか?
正しいことは正しくないのでしょうか?
成果を期待してしまうのは悪でしょうか?