
2年前のこの時期も、オヤジは僕に
「仕事は楽しいもんだ」
と言った。
そして今日もまた、オヤジは僕に
「やっぱり仕事は楽しいな」
と言った。
口下手なオヤジが年々饒舌になっているのは、歳を取ったからだけではないだろう。
僕もオヤジと同じ社会人となり、一緒の目線で話せる話題が多くなったことがあるからだと思う。
僕らの共通の話題はサッカーだったけど、今はすっかりと仕事の話になっている。
「色々と次の仕事を見てみたけど、お前に合ってるんじゃないか」
いつだってまつを家のみんなは、僕に期待をしてくれていたと思う。
それは重過ぎる期待ではなく、僕のレベルに合った期待だ。
だからこそいつも決断の時に言われてきた、
「本当にそれでいいのか?後悔はないのか?」
「あんたにとって自分自身はそれで十分なの?」
いつでも見抜いていたのだと思う。
オヤジだけでなく、オカンもアニキも。
僕がいつも、自分のレベルに合った場所から自分を下げて、逃げていたことを。
たぶん、みんなはずーっともどかしかったんだと思う。
「お前ならもっとできるのに、なんで」と。
だけど、ようやく自分の行くべき場所がわかってきて、ようやくその一歩を踏み出すことができた。
気づくのは自分自身で、行動に移すのも自分自身。
でもいつだって家族のみんなはこんな僕に期待して、応援してくれていたんだと思う。
置かれた場所でしっかり咲きなさい
オカン
前職の勤務地に行く前にオカンが贈ってくれた言葉だが、置かれた場所で奮闘したからこそ、次の道が見えてきて、そこにチャンスの蜘蛛の糸を垂らしてくれたのだ。
そして、置かれた場所で曲がりなりにも奮闘したからこそ、その過程を評価して引っ張り上げてくれたのだ。
僕は言葉によって、導かれているのだと思う。
「夏から三重県に行くかもしれない。
この歳になっても新しい挑戦は楽しみだ。
緊張感があるってのは、仕事に張りが出てイイ。」
僕には、アニキにも、オヤジの血が入っている。
新しいことに挑戦するのが好きな僕たちは、オヤジ譲り、いや先祖から受け継がれてきたものなのかもしれない。
「続けることが難しいんだ」
本当にそう思うのは、2年前から筋トレや納豆といった、苦手なことに継続して取り組む姿勢を磨いてきたからこそよくわかる。
もちろんコトの大きさの違いはあるけれど、始めることよりも続けることが何だって難しい。
特に、会社であればなおさらだ。
「自分がやってきたことを、死んだ後も世に残せるかもしれないなんて、こんなに素晴らしいことはない。
やっぱり、仕事ってのは楽しいな」
仕事に誇りを持って打ち込んできたからこそ楽しみを見出すことができ、継続してきたからこそ成果に辿り着くことができたのだ。
神様は、毎日の中に永遠を見出そうとする者に、そっと微笑むのだ。