Posted on: 2018年12月2日 Posted by: まつを Comments: 0

 

 

昨日、友人と飲みに行ったのですが、友人の話しを聞いて感じたことについて。

 

昨日会った友人は高校の同級生で、大学は別々でしたが高校の時に仲が良かったので、僕が地元に帰省する時にタイミングが合えば一緒に飲みに行く仲でした。

ですが、友人が大学を中退してからしばらくは、友人もすぐに就職して仕事に追われていてなかなか会えずにいました。

昨年の春に2年ぶりに会うことができ、それからは数か月かに1度のペースで会っていました。

 

昨日の話では、就職して何年かして鬱になっていたことが判明。

それが回復してきて外に出れるようになっていたのが、ちょうど去年自分が久々に会った時だったそうな。

ちょっと驚きつつも、マイナス思考なところがあった友人なので、なんとなく鬱と言われても納得できたのが正直なところ。

 

鬱病という診断は、「君は弱い」と言われるのと同じだと僕は思う。

ただ、それは決して悪いことではなく、むしろ第三者の医者という専門家からはっきりと指摘されることで、それは事実として自分で認識される。

ここで大事なのは、その事実を素直に受け入れることができるかなのではなかろうか?

もし自分が鬱という事実を受け入れることができなければ、それは今の自分の弱さから目を背けてしまい、自分の姿を正しく認識できない状態が続いてしまう。

それって、人としての成長機会を捨ててしまっていることに他ならないのでは?

 

物事を一元論ではなく、二元論で考えなさいというようなことを、養老孟司氏の『バカの壁』という本には書いてありました。

 

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で、この考え方を知ってからは自分の中で物事の捉え方が180度変わり、良い面には必ず悪い面が、逆に悪い面にも必ず良い面があるという物事の二面性を意識することができるようになった。

 

「鬱になってしまった」という悪いことも、「自分の弱さを客観的な立場からの目線で認識させてもらえた」と捉えることもできる。

友人がそう捉えることができているかはわからないが、とはいえそのマイナスの事実を僕に恐れず打ち明けることもできたのだ。

ある意味で、これは「私は弱い人間です」と表明したことに他ならないと思う。

 

弱さを克服するためには、まずはその弱さを認識して受け入れることだ。

それがまずは第一歩で、次の一歩はその弱さを人に打ち明けることではないだろうか。

自分で弱さを認識し、自分の弱さを認識してもらう。

このプロセスを経ることで、ここから強くなっていくことができるのではないか?

 

弱い自分がいる。

それでも、新しいことやできないことにチャレンジして壁を乗り越え、成功体験を積んで自信をつけていくことで、少しづつ人間として強くなっていく。

それが成長というプロセスに他ならない。

昨日の時点では、友人はまだ自分に自信が持てていなかったし、新しいこと・環境に挑戦する勇気が出ないと言っていたけれど、その一歩を踏み出すことができれば一気に成長できる可能性がある。

 

ただ、その一歩は誰かに後ろから押してもらうのではなく、自分で踏み出さなければ意味がない。

外的要因によってではなく、自発的でなければたとえ1つ目を外的要因でクリアできても、また次の壁に当たった時に、また背中を押してくれる人を探して頼らなければいけなくなる。

自分の意志で変わりたい、変えたいと思う時の方が、人は大きく成長できる。

 

友人の一歩踏み出せる日が近く来ることを心から願って、昨日感じたことの記録としておく。