Posted on: 2023年3月1日 Posted by: まつを Comments: 0

 

 

こんばんは。3月に入りました。

今年度も終わりが近づいてきましたね。

来年度はまた転勤、ってか昨年度いた広島に戻ることになりましたので、姫路生活もあと少し。

 

今日はですね、タイトルの内容について考えてみます。

 

先日、職場の人と飲みに行った時に、「まつをさんは仕事を熱心に頑張っていますよね」と言われました。

僕としては、もちろん頑張ってはいますが、どちらかと言うとやるべきことを淡々とやっているイメージの方が正しくて、「めっちゃ頑張ってます!!」というわけではありません。

他にも、「生徒のことを思ってやっていますよね」とも言われたのですが、これも少し違いまして。

 

僕は生徒のためではなく、自分のために仕事をしています。

ちょっと悪い言い方をすると、自分の納得感のため、つまりはエゴのために仕事をしています。

 

もちろん、生徒のためになればいいなと思って色々な施策をしてはいますが、それも結局のところ、もし未来で、”そうしなかった”ことを僕自身が後悔しないためにやっているんですね。

 

あの時、あれをすればよかったな。。

あの時、あの生徒にああ言っておけばよかったな。。

あの時、あの生徒のこともっと見ておけばよかったな。。

 

と、未来で後悔している自分の姿を想像するとゾッとします。

なので、そうならないために今すべきことは何かを逆算して、そのすべきことを淡々とこなすことが大切なのではないかと思っています。

 

 

と考えると、未来の自分を想像して頑張る人の中でも

  1. ワクワクする、憧れる自分の姿
  2. ゾクゾクする、嫌悪する自分の姿

のプラス・マイナスのどちらかのパターンに分かれるでしょう。

 

自分はというと、プライベートにおいては前者ですが、仕事においては後者にあたります。

プライベートであれば、どんな姿を思い描こうが自由なのでこれでいいと思います。

が、仕事においては求められることが割と明確であり、そのために何をすべきかも割とはっきりとしています。

なので、それができなかった時の自分を想像することで、そうならないためのモチベーションになるのです。

ただ、やはりこれはマイナス思考であり、ある意味でブラックパワーとも言えます。

なので、プライベートでホワイトパワーを持つ必要があるのかもしれません。

 

 

上記のように、自分のために仕事をすべきだと思いつつ、他人のために仕事をすべきではないと考える理由もあります。

僕ら人間は、他人のために仕事をすると、その他人に良く評価してもらいたいと思うようになる危険性を常にはらんでいます。

ですが、究極的なところで言うと、他人の評価は僕らが強制的に覆すことはできません。

 

俺を評価してくれ!

 

と叫んでも、評価すべきメリットがないと他人は評価してくれないのです。

他人のためと思って仕事をしたとして、評価してもらえないとその相手を憎む人がいますが、そもそも他人のために仕事をしなければ、他人に評価してもらおうなどと考えなければ、相手を恨むことも、相手の評価に思い悩むこともないのです。

 

要は、評価軸を他人ではなく自分がきちんと持つべきだということです。

 

自分のために仕事をして、その評価を自分がしっかりとしてやる。

この姿勢を貫いていれば、自分自身がブレることも、他人に踊らされることもないはずです。

 

他人のためでなく、自分のために仕事をせよ。

未来が今の自分を誇りに思えるために。

私の上司は未来の私であり、未来の私が常に今の私を観察している。