Posted on: 2020年8月17日 Posted by: まつを Comments: 0

 

 

夏休みが明けて、いよいよ今日からまた仕事が再開するというのに、相変わらずお腹が痛いまつをです。

腐った温玉にチャレンジしたツケが3日目まで続くとは…困ったものです。

それは仕方ないとして、今日は生徒たちも夏休み明けで学校の授業でヘトヘトになったようで、遅くまで残る人はおらず。

そんな時は読書をするのが常ですが、今日は『「学力」の経済学』を読んでいました。

 

ザックリ説明すると、この世に溢れる教育のハウツーは基本的に発信者の主観によるものがほとんどで、再現性が低いものばかり。

例えば、「東大に我が子を全員入れました!」みたいな教育法も、万人に当てはまるわけではないわけで。そのような成果を上げるための環境、例えば子どもたちにかけることのできる金銭的な余裕であったり、勉強の教授のサポート体制だったりといった、前提条件がたくさん隠れているわけであります。

そのような隠れた前提条件に対して、経済学と統計学による科学的なメスを入れ、再現性のある万人に当てはまる数値を示していくのが本書の目的です。

まだ全部は読んでいませんが、ちょうど2章の話題が「子どもの自尊心を高めることの是非」でした。

職業柄、常に子どもたちの成長のために働いている僕としては、この話題ほど気になるものはありませんよ!

結論から述べますと、自尊心は「結果」にすぎないということであります。

つまり、昨今の教育界では、自尊心を高めることは子どもたちの成績を伸ばしたり、能力を開発したりするための”手段”であると考えられていましたが、実際は成績が伸びたり、自分の新たな一面を発掘することができた後に「結果」として自尊心が高まるとのことなんですね。

僕もこれまでこのブログでは、自尊心や自己肯定感を高めようなど言うのではなく、まずは自分を認知することがスタートだと述べてきました。

その自己認知をした上で、今の自分を一段でも二段でもレベルアップさせていき、そのレベルアップした事実を認識することができた時に、自信がついたり、自己肯定感が高まったり、あるいは自尊心が高まるということなんです。

本書では、子どもに対してむやみやたらに自尊心を高めようとするアプローチをすることに警鐘を鳴らしています。

というのも、バージニア連邦大学のフォーサイス教授らの実験によると、

「やればできる」というメッセージを与え続けた学生

と、

事務的な連絡と、責任感の重要性についてのメッセージを与え続けた学生

とでは、試験での成績の伸びが後者の方が大きかったそうです。

とりわけ、学力の低い生徒に対して前者のようなアプローチをした場合、悪い成績を取っている事実を反省する機会を失ってしまい、根拠のない自信を持ってしまったとのことでした。

やはりここにも、自己認知の重要さが隠れているように思います。

つまり、思慮の浅い褒め方をした結果、子どもは正しく自己認知する機会を失ってしまったのです。

自己認知なくして、その後の成長や自尊心の高まりはありえないのでしょうよ。

とはいえ、子どもを褒めず叱り続けて伸ばしていけばいいわけではありませんよね。

では、どう褒めてやるのが良いのでしょうか?

これについては、コロンビア大学のミューラー教授の実験が参考になります。

詳しい実験内容は省きますが、6度に渡る実験の結果、子どもの能力を褒めると子どもたちは意欲を失い、成績が下がるとのことでした。

つまり、今既にある能力を褒めても子ども次の成長やモチベーションにはつながらないのですが、その代わりに努力した結果を褒めることの方が効果があるとのことでした。

例えば、1時間勉強したことに対して、「よく1時間も勉強したね」と褒めたり、本を1週間で読み終えたことに対して、「1週間という短い時間でよく読み切れたね」など。

ただし、後者の褒め方だと本の内容の理解よりも本を読むスピードに重きが置かれてしまう可能性もあるので、内容を簡単に解説してもらうなどの工夫が必要になるでしょう。

成果ばかりを褒めてしまうと、成果を出すことだけが正しいと思ってしまうので、あくまでも成果を上げるために頑張って努力したことを褒めることで、たとえ成果が出なくても頑張ることの価値や重要さに気づくことができるでしょう。

そういった子どもの方が、難しいことや新しいことにチャレンジしていける精神を宿す素敵な人間になるのかもしれませんな。